世界遺産!百舌鳥古墳群☆いたすけ古墳


子供のころの遊び場は「いたすけ」 地元ではみんな「いたすけ」って呼び捨てだった いたすけが世界遺産・・・ってなんか不思議な感じ。 父やじいちゃんはお堀でいつも魚を釣っていりいていたし、仁徳さん(仁徳天皇陵)の一番外堀は釣り堀だったような気がするし。今新聞で世界遺産として見る多くの人たちの古墳に対するイメージとは違うんじゃないかあって思います。そんな生活に密着した古墳の姿もちょっと面白いかな?と思ったのと、60年間見続けてきた「いたすけ」を書き残しておくのはいいんじゃないか?

堀は生活に密着した食料庫だった

鮒とか鯉

じいちゃんや父さんはいたすけで釣りをする。大抵は鮒。正直あまり美味しくない。骨もたくさんあるし。父さんとじいちゃんは鮒を煮て、焼いてってお酒のアテにしていた。釣りじゃなくても、なにか放り込んでモロコや小さなエビをたくさん獲っていた。それは当然私たちも食べたんだろうけれど、記憶としてはあまりない。昔のいたすけの水が綺麗だったとかの記憶もあまりない(どちらかというとあまり綺麗でなかったような気がする)けれど当然のように平気で晩御飯に鮒や鯉を食べてたんだと思う。 家に帰ったら井戸端にはいつも何かしら生き物が置かれていた。大きなたらいに入った鯉だったり、くくりつけられたしらさぎだったり・・・。
農家なので野菜やコメには困らなくてもタンパク質はいたすけの魚が中心だったのではと思う。それと近くの養鶏場の鶏肉と卵。

ウシガエル(食用カエル)

ウシガエルがめちゃくちゃたくさんいて、夜はすごい音量の大合唱だった ウシガエルの天国。 いまでも多分春には巨大なおたまじゃくしがううようよと見れるはず。 小学生の頃家に帰ると物干しの近くにウシガエルが足を括られてぶら下がっていた。あれも食卓に登ったんだろうか?

菱の実

菱のみもよく取りに行った。
いまはガマの穂がたくさんだけれど、昔はもっと水量が多く、たくさんの菱があって、じいちゃんがミツマタの投げ道具を自作して、放り投げて菱を引っ掛けて引き寄せてとる。
葉っぱの下にひし形のトゲトゲの実があって、それを茹でると栗みたいなあじがする。ちょっとググってみたら、今は養殖されてるのがあって、なんだか巨大な菱のみがあった。今でも食べれているんですね。
長い間菱のみのことなどすっかり忘れていたけれど、ウシガエルでおもいだした(^ ^)

開発事業の名残

いたすけ公園から少し歩くと途中で壊れている橋がある。 じいちゃんから聞いた話だと、宅地造成の土をいたすけから取るためにつけたらしい。
反対運動で工事が中止になったけれど、橋は途中までこわしてそんままずっとある。
古くなっていい感じではある。
この橋は世界遺産になっても壊されないのかな?
反対運動の象徴とも言える橋。古くなってちょっといい感じになってるし、このまま残るといいな。

考えて見るともともとは誰の所有だったんだろう?考えられるのは個人、もしくは本町(町内会の所有?)か?しかし開発に待ったをかけた人がいたらしい。三笠宮さまも反対運動に参加したとかいう話もあったように思う
その運動にじいちゃんも参加していたんだろうと推察する。
いたすけ公園の構想を楽しそうに話していた。
開発事業は昭和30年のこととあるから、私の生まれる前のことだ。
それまでに開発のためにたくさんの墳丘が壊されたんだろうと思う。いたすけの開発事業中止運動でその後、墳墓の保存が進みようになったのはとても嬉しい。
関係ないけど、私はいたすけで育ったことやじいちゃんに対する誇りのような気持ちを持っている。

ため池としての堀

子供の頃の生活圏には古墳がたくさんあったわけなんだけど、古墳というより(もちろんお墓と教えられてはいた)田んぼに水を運ぶためのため池的な役割が大きかったのではないかと思う。 田植えのころになると「ごべ(御廟山古墳)」の水門が開けられて、いつもはちょろちょろとしか流れていない各家の前を流れる深さ50センチから100センチくらいの水路に水が満々とあふれるほど流れていた。 その色が緑色なのが不思議でこれもじいちゃんに聞いて見る。「なんで緑色してるん?」といったら「しらさぎのふんのいろ」と教えてくれた。今考えると「藻」なんじゃない?っておもうんだけど、じいちゃん多分めんどくさいからなんでも適当にこたえていたんだろう。 今の「いたすけ」
桜並木
いたすけ公園の桜はじいちゃんたちが植えたそうだ。立派な公園にして池には白鳥を放して・・って嬉しそうに言っていたのを思い出すが結局白鳥計画はうまくいかなかったようだ。だけど桜並木は見事に育って春には花見に来る人がたくさんになった。この光景をじいちゃんにみせてやりたい。

たぬきのすみか

朝日新聞

まも一年に一回年末に実家に行くんだけど2年前の年末に行った時はたぬきの家族(5匹かな)が住み着いていた。堀を泳いて行ったんだね。 私はいつも行くのは冬なんでみかんを投げる。
パンだと軽くて、壊れた橋まで届かないんだよね。
私はみかんでも届かないけどね。 年取ってまるで飛ばせない・・・(;_;)
届かなかったパンやみかんはカモや鯉がバックンバックン食べちゃうの。
いたすけの生き物はかなり栄養取りすぎかも?
でも去年の年末に行った時はたぬきの家族はいなかったんだ。 世界遺産になるというので整備して竹やら木やらを伐採したんだね。だからたぬきたちは住めなくなったんだ。
たぬきたちの愛らしい仕草をみにいつも誰かが橋のところにいるのだけど、いなくなったらさみい。
でもこうやって世界は変遷していくのだ・・・。

百舌鳥(もず)ってむずかしいよね

最近は毎日のように新聞に出てるけれど、百舌鳥(もず)って読める人少ないんじゃないかな 小学校入学した頃のはなしですが、じいちゃんに電車にのってどこかに連れて言ってもらったの。どこに行ったのかという記憶はないんだけれど、駅の風景が今もはっきりと私の脳裏に浮かぶの。 「おじいちゃん、漢字で百舌鳥ってかいてあるけどなんで読み仮名が「もず」やの??その頃の私は感じはひらがなで書くより短いものと思い込み(普通そうだよね)があったようで、そんなこときいたんだろうね。じいちゃんの返事をいまだにはっきり記憶してる。 「あれはな・・ほんまは「もんず」って読むんや。」 ふーーーーん・・・ その頃は何も疑問に思わなかったんだ・・・だって地元では「もず」ではく「もんず」と発音してからなあ・・・ 学校で恥いたよ〜純真な子供に嘘教えたらあかんとおもうの・・。

百舌鳥という地名の由来

仁徳陵を作るためにたくさんの人が石を運んでいた。モズがたくさんいた。
ある日鹿が急に暴れだして倒れた。
鹿の耳の中にモズが入っていた。

だから百舌鳥(百舌鳥耳原)って地名になったんだって。
耳原町ってのも今でもあるはず。

そんなお話を資料館のようなところで見たことがある
百舌鳥駅の近くに資料館があったように記憶している。
くらーい小さな資料館で、仁徳陵を作ってくる時の模型が並んでいたような記憶がある。
もしかしたら今は大仙公園に資料館に移されているのかな?それともボロボロになって廃棄されたかもしれない。

後記

いたすけ世界遺産かあ・・・・
静かなところだったけれどこれからは人がたくさん来るんだろうか?
あまり人だらけになって欲しくはないけれど、春の見事な桜はみんなに見て欲しい。
きっとじいちゃんが笑ってる。

 

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